「10歳までは、本当に幸せでした」

田代

これまでのお話を拝見すると、壮絶な幼少期だったという印象があります。実際はどんな子ども時代だったのでしょうか。

杉本氏

よく「苦労した幼少期だったのでしょう」と言われるのですが、実は10歳くらいまでは、本当に幸せでした。
その頃、父の会社が倒産したほか、私も交通事故でICUに入り、3か月ほど入院したりと、いろいろな出来事がありました。
それでも両親は、私には精一杯の愛情を注いでくれました。
だから、自分の人生を振り返った時、「幼少期が不幸だった」という感覚はなくなりました。

田代

その生活が大きく変わったのは、お母様が亡くなられてからですか。

杉本氏

そうですね。
父は会社をもう一度立て直そうと頑張っていましたが、なかなかうまくいきませんでした。四畳半の風呂なしアパートで暮らしていて、母もパートに出て家計を支えていました。
その母が体調を崩して病院へ行った時には、すでに末期がんでした。それから一か月ほどで亡くなりました。
母のパート収入がなければ生活できないような状況でしたから、本当に突然、家庭が崩れてしまいました。

田代

かなり急激に環境が変わってしまったのですね。

杉本氏

そうです。
父も最初の一年半くらいは、本当に頑張ってくれました。私のお弁当も作ってくれましたし、家庭を何とか守ろうとしていました。でも生活はどんどん苦しくなり、生活保護を受けるようになって、父もパチンコばかりするようになってしまって。

同様に、私も家に帰らない日が多くなりました。
今振り返れば、父も苦しかったんだと思います。会社が倒産し、60歳を過ぎてもう一度人生をやり直そうとしていた。でも10代半ばだった当時の私には、その気持ちは理解できませんでした。

「お前を殺して、俺も死ぬ」

田代

その後、お父様との関係はさらに悪化していくのでしょうか。

杉本氏

はい。
ある日、父と口論になりました。
父から「そんなことをしていたら、ろくな大人にならない」と言われたんです。
でも私は「その言葉を父から言われる筋合いはない」と思いました。
アルバイト代も少しではありますが、家に入れていましたし。

お互い感情的になってしまい、取っ組み合いになりました。
その時、父は「お前を殺して、俺も死ぬ」と言って、私を刺しました。
すごい話ですよね。当時の私は18歳でした。

田代

その出来事の後、お父様に対する気持ちはどうだったのでしょうか。

杉本氏

もちろん恨みました。
18歳でしたからね。
「なんでここまでされなきゃいけないんだ」と思いました。

ただ、今なら絶望した父の気持ちは経営者としてよくわかります。

父の名誉のために少し補足させてください。
上場後、親戚を集めて食事をしたことがありました。その席で叔父から、「お前は親父のことを、ろくでもない親父だと思っているんだろう」と言われたんです。
私は、「いや、あの生活を経験させてもらったからこそハングリーになれた。だから父には感謝しているよ。」と答えました。
すると、「違うんだ!」と言われました。

田代

どういう意味だったのでしょう。

杉本氏

「お前の親父は、地元の英雄だったんだ。」と言われたんです。その話を聞いて初めて、父の過去を知りました。
父は50歳の時に私が生まれていますから、生きていれば99歳になります。そんな年齢ですので、太平洋戦争に従軍しました。
昭和20年の終戦の年に海軍に入り、台湾海峡で乗っていた船が撃沈され、命からがら助けられたそうです。その後、海軍病院を退院して広島へ戻ったのですが、既に原爆が投下されていました。

田代

まさに終戦直後ですね。

杉本氏

そうです。
今では想像もできませんが、広島の街には埋葬されていない遺体があったほか、復員兵がいて、子どもたちは裸同然で歩いている。治安も悪く、強盗、殺人が日常的に起きるような状況だったそうです。
そこで父は、「自警団をつくらなければいけない。」と言って、復員兵や地元の若者を集めて警備隊をつくったそうです。

ある日、人が襲われている現場に遭遇しました。父は迷わず止めに入りました。すると、拳銃で撃たれたそうです。
父の体には弾痕が二つありました。私はずっと、「戦争で撃たれた傷なんだ。」と思っていました。でも違いました。人を助けようとして撃たれた傷だったんです。

田代

その話は、お父様ご本人からは聞いていなかったのですか。

杉本氏

一度もありませんでした。
父は、「戦争の悲惨な話なんて子どもは知らなくていい。」と言っていました。
「あの時代はみんな何かの傷を負っている。わざわざ話すことじゃない。」そう親戚には話していたそうです。

その話を聞いた時に、「ああ、自分は父の人生を何も知らなかったんだ。」と思いました。
あれだけ恨んでいた父でしたが、「こういう勇敢な父親の血が自分にも流れているんだ。」
そう思えた瞬間でした。
そこで初めて父を許せたのだと思います。

田代

お父様との関係が変わったのは、刺された時ではなく、上場後だったのですね。

杉本氏

そうですね。
だから今は、厳しく育ててもらって良かったと思っています。箸の持ち方一つでも殴られましたし、本当に厳しい父でしたが、幼い頃に受けた両親の愛情と、その厳しさがあったからこそ、今の自分がある。
振り返ると、そう思えるようになりました。

人生を変えた「宅建」との出会い

田代

お父様との出来事を経て、「このままではいけない」と思われたのでしょうか。

杉本氏

そうですね。
父に刺されたこともありましたし、このまま人のせいばかりにして生きていても何も変わらないと思いました。
「人生を変えたい。」その思いで奨学金を借りて専門学校へ入り、宅地建物取引士の資格を取りました。
資格を取ったら、「もう働こう」と思って、すぐに専門学校を辞めて不動産会社へ就職しました。そこから私のビジネス人生が始まります。

田代

最初から不動産業界だったのですね。

杉本氏

そうです。父が不動産会社を経営していたことも影響していますね。
もうその時は「普通の人より頑張らないといけない。」この気持ちしかありませんでした。
だから、とにかく働きました。
誰よりも働いていたと思います。休みの日も仕事のことばかり考えていました。

田代

今振り返ると、その頃の原動力は何だったのでしょうか。

杉本氏

やっぱり、「人生を変えたい」という思いですね。
言い訳できる環境ではありませんでした。
親もいない。
頼れる人もいない。
だったら、自分が努力するしかない。それが当時の私のすべてでした。