二代目社長の平岡氏が語る、創業家としての距離感と“突然の承継”
田代
早速ですが、代表取締役就任おめでとうございます。
小さい頃からサイエンスアーツの存在は意識されていたのでしょうか。
平岡氏
ありがとうございます。
確か、自分が小学生くらいの頃から父が会社をやっていたのは、なんとなく知っていました。
その頃は何をしているのかも分かっていなかったですし、それが自分の人生とつながる感覚も当然ありませんでしたね。
田代
小さい頃から「自分が将来会社を継ぐ」という意識はなかったということですね。
平岡氏
もう全然なかったですよ(笑)。
父を見ていて大変なんだろうな、くらいの認識はありましたが、それ以上はなかったですね。
まさか自分の人生が父の会社に関与するとは思ってもいませんでした。
インターンの身でトヨタ相手にプレゼン
田代
サイエンスアーツとの関わりが具体的になったのは、いつ頃からですか。
平岡氏
大学生の頃にインターンという形で関わり始めました。
当時はまだ本当に小さい会社で、父である現会長と営業本部長、そして、数名の社員という体制でした。
田代
まだ今のように事業が大きく拡大する前ということですね。
平岡氏
そうです。当時、人が少なかったのもありますが、それ以上に「任せる文化」がありました。
インターンであっても一人の戦力として見られていたので、営業にも普通に出ていました。展示会や商談の場に一人で行くこともありました。

田代
かなり裁量の大きい環境ですね。
平岡氏
はい。今振り返ると大胆な環境ですが、その分、実践の中で鍛えられましたね。
ある時、トヨタ自動車さんに一人で伺い、プレゼンを任されたことがありました。先方は複数名のご担当者、こちらはインターン一人という状況でしたが、相手に響くプレゼンはできていたと思います。
単に人がいなかったから任されたというよりも、「任せてみよう」と判断されたこと自体が大きかったと思います。
田代
かなり肝が据わっていないとできない経験ですね。
平岡氏
そうですね。展示会の設営や運営、資料作成、問い合わせ対応まで一通り任されていたので、現場で覚えることが多く、結果的に実践の中で力がついた感覚があります。
田代
その頃から会社の中では、平岡さんへの信用・信頼があったということですね。そのままサイエンスアーツに就職するという選択肢はなかったんですか。
平岡氏
確かに多くの経験をさせてもらい、成長実感もありましたが、当時は営業よりもエンジニアとしてのキャリア志向が強かったんです。
大学で体系的に技術を学んでいたわけではなかったので、まずは明確な技術を身につけたいと考えました。
まずは外で技術を学ぶ。それでも戻ってきた理由
田代
社会人一年目は、外の会社に入られていますよね。
平岡氏
はい、そうです。
新卒で入社したのはワークスアプリケーションズでした。
エンジニアとしての技術を学べる環境に魅力がありましたし、あとは給与なんかの待遇面もかなり良かったんです。
田代
その後転職してサイエンスアーツに入ったわけですが、既定路線ではなかったんですか。
平岡氏
振り返るとそういう感覚はあまりなかったです。
サイエンスアーツに転職したのも「会社を継ぐため」ではなくて、Buddycomのように現場の人が実際に使って喜んでくれるサービスに携わりたいと思ったからです。

田代
エンジニアとして実際に喜んでもらえるサービスの開発に携わりたかったということですね。
平岡氏
そうですね。
自分で構築したものが、現場で役立って、お客さんが便利だと感じてくれる。
そこにすごくやりがいがありました。だから、サイエンスアーツでは「このサービスを自分で構築して届けたい」という感覚でずっと仕事をしていました。
“継ぐ”のではなく、働いていたらそうなった
田代
入社に際して、現会長から「将来は継がせるぞ」という話もなかったんですか。
平岡氏
無かったですね。なので普通に一従業員として働いていたらある日社長になっていた、という感覚なんですよ。
最初から後継者として何かを期待されていた感覚もありませんでしたし、当時の代表取締役である父から「次はお前だ」と言われたことも、一度も無かったですね。
ただ仕事をしていく中で、企画本部長や営業部長のポジションをこなしたことで自分の役割や視座が自然と広がっていったという感覚はありましたね。
なので、「その延長線上に今がある」という感じです。
田代
創業家としてサイエンスアーツに戻った、というより、仕事をしていたら責任範囲が徐々に広がっていった、ということですね。
平岡氏
まさにそうですね。
だから、自分の中では“承継した”という感覚より、“仕事を積み重ねていたら、ある地点で経営まで来た”という感覚の方が強いです。
