「芸能人に会いたかった」日本への留学

田代

李社長は1997年に日本へ来られています。当時から日本でビジネスをしようと考えていたのでしょうか。

李氏

いえ、まったく考えていませんでした。
その頃はビジネスをするという発想自体がありませんでしたし、純粋に海外へ行って、いろいろなことを学びたいという気持ちでした。
当時の日本は先進国でしたし、特に技術力が非常に高かった。中国から見ると、日本には学ぶものがたくさんあるという印象でした。

それに、私たちの世代は日本の漫画を見て育っています。中国のテレビでも日本企業のCMが流れていましたし、日本の歌手や芸能人も知られていました。日本に対して遠いという感覚があまりなかったんです。
自分への言い訳としては、「酒井法子さんに会いたい」という気持ちもありましたね(笑)。

田代

そこも日本を選んだ理由の一つだったということですね。

李氏

そうですね、理由として少しはあったと思います(笑)。
山口百恵さんも好きでしたし、日本の文化には以前から親近感がありました。
父は大学教授だったのですが、「留学するならアメリカへ行った方がいい」と言っていました。当時も、最先端の技術や研究を学ぶならアメリカだという考えが強かったですから。

でも私は日本を選びました。中国から近いですし、文化的にも共通する部分が多い。生活面でもアメリカより入りやすいのではないかと思ったんです。

田代

最初から日本に残るつもりではなかったのですね。

李氏

全然ありませんでした。
2年か3年くらい日本で勉強して、その後は中国へ帰るつもりでした。まさか日本で働き、結婚し、会社まで作るとは思っていませんでしたね。

田代

日本に来て最初に住んだのはどのあたりだったんですか。

李氏

西葛西のあたりです。
昔から中国人を含めて外国人が比較的多い街でしたし、外国から来た私にとっては暮らしやすかったですね。
今はインドの方も増えて、インド料理のお店も本当に多くなりました。

妻には相談せずに会社を作った

田代

日本では、まずITエンジニアとして働かれていますね。

李氏

そうですね。
CSKと新日鉄ソリューションズで、合わせて10年くらい働きました。以来、私はずっとエンジニアです。
ちなみに当社の創業メンバーは3人ですが、3人とも技術者でした。

会社員としてシステムを作るのも面白いのですが、自分たちで考えたものを、自分たちの判断で世の中に出してみたいという気持ちが少しずつ強くなっていったんです。
3人で何度も話をしているうちに、「だったら自分たちで会社を作ろう」となりました。結果として2009年にネットスターズを創業しました。

田代

最初から具体的な事業が決まっていたわけではなかったんですね。

李氏

そうなんです。
今振り返ると、かなり大胆ですよね(笑)。
会社を作る時点で「これをやれば必ず成功する」というビジネスモデルがあったわけではありません。

でも、会社がなければ何も始まらないと思ったんです。まず会社を作る。その後で、自分たちの技術を使って何ができるかを考える。順番としては、そういう感じでした。

田代

ご家族には相談されたのですか。

李氏

実は、妻には相談していませんでした。
会社を辞めて、設立した後で報告しました。今でも家族の中では大事件として語られています。「この人はリスク管理をしない」と(笑)。

田代

当時は収入もかなり高かったそうですね。

李氏

30歳前後で年収も1,000万円を超えていました。
創業メンバーも、それぞれ安定した仕事がありました。大きな会社で働いていましたから、普通に考えれば、そのまま働いている方が安全です。

ただ、技術者としての自信はありました。
会社が失敗しても、自分たちには技術がある。
またエンジニアとして働けばいい。
家族を養うことはできる。

そう思っていたので、挑戦すること自体への怖さはそれほどありませんでした。
もちろん妻には怒られました。
でも最後には、「あなたはそういう人生を歩む人だから、サポートするしかない」と言ってくれました。そこは今でも感謝しています。

最初に目をつけたのは国際SMS

田代

創業して最初に手掛けたのが国際SMSですね。

李氏

そうです。
当時はまだLINEのようなメッセージアプリが普及していませんでした。日本から海外へ連絡する場合、国際電話かSMSを使うのが一般的でした。
ところが、国際SMSは一通100円くらいしたんです。短い文章を送るだけで100円です。
在日外国人にとっては非常に負担が大きかった。私自身も中国から日本へ来ていますから、海外と連絡を取る不便さはよく分かっていました。

田代

そこを技術で安くできるのではないかと。

李氏

そうです。
エンジニアとして仕組みを見ると、「これは本当に100円必要なのか」と思ったんです。
そこで海外の通信会社と接続するゲートウェイを作りました。当社の仕組みを経由することで、一通100円程度だったものを10円くらいまで下げることができました。

田代

10分の1ですね。

李氏

はい。
在日外国人を中心に利用が増えました。
日本で働いている外国人や留学生にとって、母国の家族や友人へ安く連絡できるのは非常に便利でした。これがネットスターズにとって最初のビジネスです。

ショート動画は時代を先取りし過ぎて赤字に

田代

通信事業が軌道に乗った後は、かなり多くの新規事業に挑戦されていますね。

李氏

本当にいろいろやりました。
通信事業だけでは会社を大きくできないと思っていたんです。
次の柱を作らなければいけない。当時、中国ではインターネット関連のビジネスがものすごい勢いで成長していました。

テンセントとも一緒に仕事をしましたし、ゲームを日本で展開したこともあります。
日中間のEコマース、O2Oにも取り組みました。2013年頃にはショート動画の事業もやっています。

田代

今でいうTikTokのような市場ができる前ですね。

李氏

かなり前ですね。
日本の芸能人やモデルの短い動画を中国へ配信するようなサービスでした。今ならショート動画は巨大な市場です。
当時も「これから動画の時代になる」という感覚はありました。
でも、市場がまだ早すぎました。

田代

先を見ていたのに、事業としてはうまくいかなかった。

李氏

そうです。
通信以外は、ほぼ全部大赤字でした。ゲームには3億円くらい使いました。Eコマースには、それ以上のお金を使っています。ショート動画も赤字です。
今なら「その市場を見る目は間違っていなかった」と言えるかもしれません。
でも、会社経営では10年後に市場ができることが分かっていても意味がないんです。会社は今、売上と利益を作らなければいけません。

田代

そこでタイミングの重要性を学んだということですね。

李氏

そうです。非常に大きい経験でした。
良いアイデアだから成功するわけではありません。
将来、大きな市場になるから成功するわけでもありません。
利用者が必要としている時期と、企業がサービスを提供する時期が合わないといけない。

早すぎても駄目なんです。この経験は、今でも新しい事業を見る時の基準になっています。

50人から18人へ、残したのは「通信」と「決済」

田代

2015年に大きく経営の方向を変えていますよね。

李氏

はい。
当時は社員が50人くらいいました。通信、ゲーム、Eコマース、動画と、いろいろなことをやっていました。

でも、50人しかいない会社が四つも五つも事業をやれば、当然、人も資金も分散します。
一つひとつの事業に十分なリソースを投入できない。
ベンチャー企業は大企業とは違います。人もお金も限られていますから、全部をやることはできません。

田代

そこで選択と集中をした。

李氏

そうです。
2015年6月頃、創業メンバー3人で大きな経営会議をしました。
「これから会社として何をやるのか」
一つずつ事業を見直しました。

ゲームは売却する。
Eコマースはやめる。
動画もやめる。
通信事業は残す。
そして、次の成長事業として決済事業に集中する。

そう決めました。

田代

社員数はそのままですか。

李氏

いいえ、50人くらいから18人くらいまで減りましたね。
会社を大きくするために新しい事業を始めてきたのに、一度会社を小さくすることになった。経営者としては非常に厳しい判断でした。

新しい事業を始めることより、やめることの方が難しい場合もあります。
お金も使っていますし、時間も使っています。
一緒にやってきた社員もいます。
でも、会社全体を考えたら、どこかで決めなければいけません。

田代

決済事業が成功するという確信はあったのでしょうか。

李氏

ありませんでした。
100%正しいという自信もなかったです。
決済という市場が、日本でいつ大きくなるかも分かりませんでした。

でも、いろいろなことをやった後は、最後に「何をやるのか」を決めなければいけません。
決める以上は、社長である私が責任を取る。
創業メンバー3人も、「ここまで決めたなら、もうやるしかない」と腹をくくりました。