田代
さて、前編では創業期の頃のお話を伺ってきました。後編では今のことと、これからの未来のことを伺えればと思います。

ダカール・ラリーは、ずっと出たかった

田代
まずは齋藤社長ご自身のことについて伺えればと思います。
バイクがご趣味だと伺ったのですが、詳しくお聞かせいただけますか。

齋藤氏

はい。実は昔から趣味でバイクに乗っていて、たまにラリーといわれる数日かけて長距離を走破するオフロードのレースにアマチュアとして出ていたんですよ。
世界各地のラリーに参加してきたのですが、ずっと憧れていたダカール・ラリーにはまだ出たことがなかったんです。というのもダカール・ラリーの開催が年末年始だったので、賀詞交換会があったり、いろんな人に挨拶周りをしなければならなかったりで会社を空けられないと思っていたので。
でもコロナ禍以降、そういった慣習がなくなって、「今ならいけるぞ」と思い、2024年から25年の年末年始に念願のダカール・ラリーに出場してきました。モロッコからモーリタニアを抜けて、セネガルの方へ向かう総距離6,000kmを二週間以上かけて走る過酷なレースです。

ダカール・ラリーのコース全長

※ 本記事では、かつての「パリ・ダカール・ラリー」のスピリットを受け継ぎ、ダカールを目的地とするレース「Africa Eco Race」を、便宜上「ダカール・ラリー」と表記しています。Africa Eco Raceは、サハラ砂漠の本格的な砂丘越えや冒険性の高さから、「真のラリーレイド」として語られることもあります。

最初の3日は楽しい。でも4日目から帰りたくなる

田代

想像を絶する行程ですが、実際に走ってみて、どんな感覚でしたか。

齋藤氏

最初の3日ぐらいは楽しいんです。久しぶりの砂漠で、走るに連れて景色も変わるんです。白い砂漠があったり、黒い砂漠があったり。地域が変わるとラクダの種類も変わるし、南下するに連れて沼が見えてきたり、ミーアキャットみたいなのがいたり、猿がいたり。
知ってます?フラミンゴって2メートルくらいの大きさで、すごい迫力なんですよ。
でも、4日目ぐらいから帰りたくなりますね(笑)。

田代

それは体力的なきつさですか。それとも生活環境ですか。

齋藤氏

両方でしたね。毎日長い距離を走って、ビバークに帰ってくるのは夜になる。砂漠なので、夜になると極寒です。気温0度なのに、シャワーのお湯は出ないし。だからシャワーなんか浴びられなくて、顔を洗って、髪を洗って終わりなんて日もありました。
食事も、プロのレーサーがビバークに戻ってくる明るいうちは色々残ってるんですけど、僕らみたいなアマチュアが戻る夜頃にはほとんど何も残っていない。
そういう日が続くので、行っている間に5キロは痩せましたね。

田代

かなり過酷ですね。

齋藤氏

過酷です。みんなが思うような、夢と希望と冒険だけの世界ではなかったです。

ダカール・ラリーで砂漠を走る齋藤氏

景色は変わる。けれど、現地との関係は複雑だった

田代

ダカール・ラリーならではの印象に残ったことはありますか。

齋藤氏

ほかのラリーは、現地の人たちが歓迎してくれることが多いんです。ガソリンスタンドに寄れば、水をくれるし、街ではお祭りみたいに迎えてくれる。「歓待」って感じですね。僕はそれがラリーだと思っていました。
でも、ダカールのレースは違いました。文化や歴史的な背景が色々と混在した結果、必ずしも現地の人が暖かく迎えてくれるわけではない。時には厳しい扱いを受けたこともありましたね。


田代

やはり現地の方の日本人に対する印象は、あまりいいものではなかったのでしょうか。

齋藤氏

それがですね、日本人に対する印象は悪くありませんでした。というのも、日本人だと分かると、急に親切にしてもらえることがありました。
現地では、日本のODA(政府開発援助)で道路などインフラが整備されたことを覚えていたり、日本人が関わってきたことへの信頼があるんでしょうね。
最近では、銀だこの社長がモーリタニアで直接交渉して、タコ漁を始めさせた結果、すごく潤ったなんていうこともあったみたいで。
だから、その周辺地域では、ホテルの部屋をアップグレードしてくれたり、頼んでいない食事や酒を出してくれたりしました。

田代

ダカール・ラリーについてですが、もう一度出たいというお考えなのですか。

齋藤氏

ほかのラリーは2回以上出ているものもありますが、ダカール・ラリーだけはもういいかなと思いました。
年齢的に、また2週間フルで走るのはもう厳しいと思います。出るとしても7日間ぐらい、2,000〜3,000キロぐらいが限界かなという感じです。

田代

7日間で2,000〜3,000キロというのも私の感覚からすればとんでもないですね(笑)。