創業は「計画」ではなく、現場の延長線上にあった
田代
創業の話は、これまでもいろんな場でお話しされていると思うのですが、改めて、まず創業時のことを伺えますでしょうか。
齋藤氏
実は、そもそも会社を作るつもりではなかったんです。
僕は元々、NTTの横須賀通信研究所で光通信方式を研究していました。
その後、東京電力のネットワークの構築やコンサルティングの仕事に携わらせていただいていたんですね。そこにいろんなメーカーの人が外注の立場で集まってきていて。
ちょうどバブル崩壊の時期だったんですが、その寄せ集めのチームがめちゃくちゃ面白かったんですよ。当初は3年という契約だったので、その仕事が終わる頃になると、それぞれまた元の会社に帰るわけです。
そのタイミングで東京電力の方から「お前ら、このまま帰ったって面白くないだろう。会社を作れ。」と言われて創業したんです。なので、大変ありがたいことに、最初から仕事はあったんです。
田代
外から背中を押されたような形だったんですね。
齋藤氏
その通りです。
仕事はあるし、当面、食うには困らないし、当時はとりあえず3年ぐらい続けばいいかな、ぐらいの感じでした。なので、正直に言うと、創業当時は大きな野望があって「将来こうするぞ」とか「上場するぞ」とか、そんなことは全然考えてもいなかったです。いつの間にか仲間が出来て、いただいた外注仕事をやって、そのまま組織になっていった。
そんな感じでした。
インターネットがない時代、現場に答えを聞きに行った
田代
創業の頃、特に大変だったことはありますか。
齋藤氏
お客様からの要望のハードルが高くて、それを叶えるために勉強するのが大変でしたね(笑)。
今だったら大抵のことはインターネットで調べれば分かるじゃないですか。ただ、当時はそうじゃない。だから、分からないことは直接聞きに行くしかなかったんです。
たとえば、電線をどう張り巡らせると一番効率的に電気を供給できるのか、そういうシミュレーションをしなきゃいけなかったことがありました。どこが供給源で、どう送れば一番効率的なのか。
要はカーナビで最短ルートを探すのと似たような話なんですけど、そういう計算をどうやってやるのか、当時は簡単には分からなかったんです。
実際、オレゴン大学の教授に直接聞きに行ったりもしましたね。教授の話はさっぱりわからなかったものの、助教授の方が丁寧に教えてくれて。それを持ち帰って実現したりしていました。
田代
今のように検索して何かを調べるのではなく、必要なことを知るために、実際に会いに行くという時代だったんですね。
齋藤氏
それが当たり前の時代でしたね。
分からないことがあると、現場もしくは知っている人に、直接会いに行って聞くしかなかったんです。でも直接コミュニケーションを取ることが如何に大切かを学べた貴重な経験でしたね。

ダムの放水量を左右する水位シミュレーションに挑んだ
田代
創業当時は他にどういったお仕事をされていたのでしょうか。
齋藤氏
面白いと仕事いえば、放水量の計算のために、利根川のダムの水位シミュレーションを作ったこともありましたね。
ダムの水位調整にシミュレーションが必要だなんて普通考えたこともないですよね。当然、僕もなかったです。なので、まず、どうやってダムに水が溜まるのか、仕組みを知らないといけない。雪が降って、それが春先に解けて、どれぐらい水が入ってくるのか。
最終的に僕たちが作った計算式でダムの放水量が決まるので、もし間違えたら下の街が水浸しになるんじゃないかと思うと正直、やばいなと思いましたね。
田代
かなり責任の重い仕事ですね。
齋藤氏
とてつもなく重いです。
その仕事も机の上だけじゃ終わらなくて。実際に数十キロある測定器を担いで真冬の山を900メートルくらい登ったこともありましたね。
利根川のダムだから群馬の奥の方だったのですが、山の下はそんなに雪がないのに、上に行くと腰ぐらいまで雪が積もってて。山登りなんかしたことがなかったので、レスキューされそうになったこともありました(笑)。巨大なハマーに乗せてもらって下山しましたよ。
田代
コンピューターの仕事をしているのに、測定器を持って雪山を登るというのは、今のイメージとはかなり違いますね。
齋藤氏
そうですね。コンピューターの仕事をしているはずだったのに、サバイバル真っ只中みたいな状況でした。
