エントランスは「会社の顔」

田代

新社屋へ入った瞬間、まずエントランスに目を奪われました。
これまで数多くの上場企業を訪問してきましたが、あれほど印象に残るエントランスは、なかなかありません。
あの作品は、どのような経緯で生まれたのでしょうか。

濵野氏

この九条という街は、大阪の町工場を象徴するような場所なんです。
当社の周辺にも、多くの仕入先や協力会社があります。その中に、田村商店さんという鉄工所があります。

以前から存在は知っていたものの、直接のお付き合いはなかったのですが、新聞社やメディアの方を通じて紹介していただき、それをきっかけに親しくさせていただくようになりました。

ちょうどその頃、新社屋の計画が進んでいました。

やはり、エントランスは会社の顔です。
なので、せっかく新しく建てるのであれば、来社された方が「あれを見てみたい」と思ってくださるようなものをつくりたい。そんな想いから、田村商店さんへ相談し、制作していただきました。

田代

作品には、「創業(1947年、設立は1953年)」から「現在」、そして「未来」というストーリーが込められているそうですね。

濵野氏

そうです。
右側が創業当時、中央が現在、左側が未来を表しています。


田村商店さんと、当社のプロジェクトチームが一緒になって、約1年かけて完成させました。
本当に何度も打ち合わせをしましたね。「ああでもない」「こうでもない」と話しながら、ようやく今の形になりました。

田代

最初からアート作品という構想だったのでしょうか。

濵野氏

最初は、自社製品を展示する案もありました。
ただ、それでは会社を知っている人しか興味を持っていただけません。
もっと幅広い方に見ていただけるものにしたいと思いました。

例えば、小学生が「あそこに面白いものがあるらしい」と話題にして見に来てくれる。そんな場所になればいいですね。
会社は社員や取引先だけのものではありません。
地域の皆さんにも親しみを持っていただける存在でありたいと思っています。

地域の鉄工所とともにつくる、新社屋の象徴

田代

あのアートは、テレビや新聞などで取り上げられてもおかしくない完成度だと感じました。

濵野氏

実は、関西ローカルの『LIFE~夢のカタチ~』という番組で取り上げていただきました。
俳優の佐々木蔵之介さんがナレーションをされている番組です。
ただ、主役は当社ではありません。

田村商店さんが、鉄工所という枠を超えて様々な挑戦をされているという特集の中で、「現在、近くにあるコンドーテック新社屋のエントランスを制作している」という形で紹介していただきました。
当社のプロジェクトチームと田村商店さんが打ち合わせをしている様子も放送されましたが、その時はまだ完成前でしたね。

田代

制作途中だったのですね。
完成した状態を拝見すると、一年間という時間をかけた理由がよく分かりました。

濵野氏

そう言っていただけると嬉しいですね。
田村商店さんも喜ぶと思います。
本当に多くの方に関わっていただきましたし、「いいものをつくろう」という想いは、皆同じでした。
完成した時は、私たちにとっても感慨深いものがありました。

田代

大阪の九条や東大阪は、「町工場の街」という印象があります。
一方で、近年は東大阪で人工衛星開発が話題になるなど、町工場に対するイメージも変わってきました。
現在、この地域を取り巻く環境をどのように見ていらっしゃいますか。

濵野氏

この大阪西エリアは、これからさらに発展していく地域だと思っています。
2030年には大阪IRの開業が予定されていますし、京阪電車を九条まで延伸する構想もあります。
阪神電車もありますし、隣の弁天町まで行けばJR環状線も利用できます。
九条は、本当に便利な場所なんです。

ただ、便利になるほど土地の価値が上がり、マンションが建っていきます。
そうすると、昔からこの街を支えてきた町工場は少しずつ姿を消してしまう。街が発展することは、建設業に携わる私たちにとってありがたいことです。
それでも、ものづくりの現場が失われていくことには、やはり複雑な想いがあります。

街が発展するほど、町工場は減っていく

田代

新社屋を建設される際、梅田や本町などへ本社を移すという選択肢もあったのでしょうか。

濵野氏

もちろん、ありました。
梅田、本町、南港方面など、いろいろな候補がありました。
立地だけを考えれば、街の中心へ移るという選択もあったと思います。

ただ、当社は1947年の創業(設立は1953年)以来、この地で事業を続けてきました。
周囲には、長年お付き合いしてきたお客様や仕入先、協力会社がたくさんあります。
その状況で、「本社を梅田へ移しました」となれば、取引先にもご不便をお掛けしてしまいます。
会社の都合だけで場所を変えるのではなく、これまで支えてくださった方々との関係を大切にしたい。そう考えて、この場所に本社と在阪拠点の多くを集約しました。

田代

利便性よりも、人とのつながりを優先されたのですね。

濵野氏

そうですね。
それに私は、この地域はこれからもっと発展していくと思っています。
だからこそ、この場所に本社を建てる意味がある。「あの建物は何だろう」「九条にこんな会社があるんだ」と思っていただける。新社屋そのものが、コンドーテックの広告塔になればいいと思っています。