上場までの苦労と、ナスダック・ジャパン1号銘柄としての記憶

クリーク・アンド・リバー社の上場時の会見の様子

田代

クリーク・アンド・リバー社の上場は、2000年6月、当時ありましたナスダック・ジャパンの1号銘柄でしたね。

井川氏

はい。上場から25年以上経ちましたね。昔は、今みたいにファンドがたくさんある時代ではなかったので、会社を伸ばせば伸ばすほど銀行借入が必要でした。でも最初の数年は、ほとんど貸してもらえなかったです。

友人から借りて返して、また借りて、ということを繰り返して、ようやく当時の三和銀行(現:三菱UFJフィナンシャル・グループ)とお付き合いが始まりました。支店の枠がいっぱいになると、今度は別の銀行を紹介してもらいました。

田代

上場時の2000年をよく覚えています。私は大学生の頃に株式投資を始めたのですが、ちょうどナスダック・ジャパンの1号銘柄として御社を知った記憶があります。「これは何の会社なんだろう」と思って、東洋経済新報社さんが発行している会社四季報で調べた記憶があります。

井川氏

そうでしたか。それは面白いですね。あの時はITバブルが弾けたり、新興市場に上場した企業の不祥事など色々あった時代でしたね。

田代

当時は意味が分からなかったんですが、今こうしてお話を伺って、ようやくクリーク・アンド・リバー社の事業、そして、存在意義が見えてきた気がします。

井川氏

やっていることの本質は、実はあまり変わっていません。ただ、ようやくそれを“実態を伴って”話せるようになったんだと思いますね。

人はコストではなく、利益を生む原資である

井川氏

実は、上場した頃、体調を崩したこともあって、クリーク・アンド・リバー社の業績も落ち込んだ時期がありました。その時に改めて思ったのは、『人はコストではなく、売上をつくるための原資』だということです。
組織が未整備だった時期には外部コンサルティング会社も入れましたが、なかなかうまくいきませんでした。そんな中、偶然の出会いから人事制度の土台を作れる人と出会って、ようやく『計器飛行』ができるようになったのです。


ナスダック・ジャパンを作り上げたソフトバンクグループの孫正義さんも『100人、200人、300人ぐらいが一番大変で、それを超えた方がむしろ経営は楽なんだ』と言っていましたが、すごくよく分かるんです。
人の仕組みが整うと、経営は一段変わります。だからこそ、今でも人を採ることを惜しまない。新卒も毎年かなりの人数を採っています。