『表面だけでは、本質は見えない』
ドキュメンタリー制作の現場で感じた限界

田代
本日はお時間をいただき、ありがとうございます。

私自身、普段はラジオNIKKEIなどで上場企業の業績やIRのお話をお聞きする機会が多いのですが、今回ぜひ井川会長にお伺いしたかったのは、業績や事業の話以上に、創業の原点です。
特に、ホームページなどでは語り尽くせないであろうアフリカでのお話を、ぜひ伺えればと思っております。

井川氏
こちらこそよろしくお願いします。
創業前の23歳から28歳ぐらいまでは、フリーランスのTVディレクターとしてテレビ番組の制作に携わっていました。
どちらかというと、ヒューマンドキュメンタリーが中心でした。当時はドキュメンタリー番組が結構多くて、「野生の王国」とか「すばらしい世界旅行」とか、30分ものの番組も多かったです。
特番もありましたし、人を追いかける番組や、社会問題に踏み込む企画も多かったです。

僕はその中でも、どちらかというと海外取材が多かったです。ミクロネシアに行ったり、赤道ギニアに行ったり、アマゾンに行ったり、アフリカに行ったり。人があまり訪れない場所をよく訪れました。

TVディレクター時代の井川氏(カメラマンの左)


本当に365日ほとんどロケに出ているような生活でした。
移動中に少し時間が空けば企画書を書いて、また別の場所に行く。睡眠時間も3時間ぐらいで平気だった時代です。
ただ、いろいろな取材をしていく中で思ったのは、ドキュメンタリーとは表面上のことは捉えやすいけれど、その裏にある本質まではなかなか映し切れない、ということなのです。

例えば、何か非常に強烈な出来事があると、人はどうしてもその映像に感情を持っていかれます。その背景には人種や政治、歴史、社会構造など、複雑に積み重なったものがありますが、映像にはそれが全部映るわけではない。

アフリカで見た現実が、僕の人生の転機になりました。

田代
アフリカで直面した現実が、クリーク・アンド・リバー社の創業に大きく関わってくるということですか。

井川氏
その通りです。
ある時、エチオピアとケニアの間にある難民キャンプを訪れました。そこでは、本当に昨日まで元気だった子どもが冷たくなっていたり、汚れたコッペパンを食べて満面の笑みを浮かべる家族がいたり、一方で別の子どもが息を引き取ろうとしていたり、まさに地獄絵のような、そんな光景が広がっていました。

そういうものを見ると、普通は「やっぱり戦争はよくない」と思ってしまいます。もちろんそれはその通りです。
でも、実際には部族間の問題や政治の問題があって、簡単には解決できない歴史的な事情がいくつも重なっています。帰る途中、車で40~50分ぐらい行ったところに倉庫があって、そこには食料がしっかりあります。でも、その食料が難民キャンプには届いていないのが現実です。
「なぜ運ばないんだ?」と思うでしょうけど、そこにもまた政治的な理由や部族間の対立があります。普通なら、正義感で運べばいいじゃないかと思うでしょう。でも、現実はそう単純ではない。
その時に感じたのは、ドキュメンタリーが掲げる『正義』と『現実』の構造との間に大きなギャップがあるということでした。

帰る時、子どもたちが車を追いかけてくるのです。その向こうに大きな夕日が沈んでいきます。その時、初めて、楽しいわけでも悲しいわけでもないのに、自然と涙が流れました。

田代
自然と『涙』が出る。つまり喜怒哀楽によって流れた涙とは違う涙ということですね。

井川氏
そうです。不思議な感覚でした。その体験が、自分の職業観を大きく揺さぶりました。これを本当に自分の一生の仕事としてやっていけるのか。そう考え始めたきっかけが、アフリカだったのです。

ジェームス三木氏の800文字が与えた衝撃
『自分はここには届かない』

井川氏
アフリカでの体験の後も、しばらくは仕事をしていました。
ただ、昔のようなギラギラした情熱が、少しずつ自分の中から薄れていったんです。そのような時、「ゆく年くる年」の企画の仕事が来ました。

田代
あのNHKさんが年の瀬に放送している「ゆく年くる年」ですか?

井川氏
田代さんの言う「ゆく年くる年」とは、少し違いますね。当時は民放各局が共同で番組を作っていて、NHKと民放の“対決”のような意味合いもあった時代です。
その時、脚本家のジェームス三木さん( 昭和を代表する脚本家)が書いた800文字の企画を見たのですが、本当に衝撃的でした。

田代
あの名作大河ドラマ「独眼竜政宗」のジェームス三木氏ですか。

井川氏
そうです。
それまで自分は、「努力すれば大抵のところまでは行ける」と思っていましたが、ジェームス三木さんの800文字の企画を見た時「これはどれだけ努力しても届かない」と気づきました。

田代
是非とも具体的なポイントをお聞かせください。言葉の力なのか、はたまた、言い回しなのかがとても気になります。

井川氏
例えばですが、『言葉の選び方』、『言葉の深さ』、『文章の構成』、そのすべてが圧倒的でした。
わずか800文字なのに、何十ページの小説を読んだような奥行きがあるのです。あれは、言葉や文章のマジックというより『芸術』でした。
この経験が、ディレクターとしての自分の限界に気付かされた、もうひとつの大きなきっかけです。

田代
ありがとうございます。アフリカでの経験、そして、ジェームス三木氏の存在が大きなきっかけとなったことがよくわかりました。