創業前にバーを経営した学生時代
田代
大学時代には飲食店をやられていたそうですね。
中西氏
そうです。
大学の近くではなくて、どちらかというと地元のほうですね。阪神電車の大石駅の近くで始めました。幼なじみから突然かかってきた「バーをやろうと思うんやけど、一緒にやらへん?」という電話がきっかけでした。
田代
かなり突然ですが、学生がお店を始めるというのはなかなか思い切った決断ですよね。
中西氏
そうですね(笑)。
知り合いからお金を借りて、リフォームし、毎月いくら返済するかも決めて。そんな状況でバー経営を始めました。
オープンしたのは、大学3回生の秋でしたね。
田代
実際には、どれくらい続けられたんですか。
中西氏
丸2年くらいです。
当時は就職氷河期と呼ばれた時代だったこともあって、実は就職活動はしていなかったんですよ。
お店は黒字でしたからこのまま続けることもできたんですが、「この先の展開」が見えなかった。2店舗目、3店舗目と増やしていくイメージが、どうしても湧かなかったんです。

田代
黒字でしたが、そこに留まらなかった。
中西氏
そうですね。
バー経営を日々の仕事として続けることもできましたが、スーツを着て社会で働いたとき、自分という人間が果たして通用するのか、一度試してみたくなったんです。
それで、バー経営はいったん2年で区切りをつけて、昼間の仕事に移りました。そこから私の営業人生が始まります。
「売る」より先に、「この人のメリットは何か」を考えていた
田代
営業成績が抜群だったとお聞きしましたが、元々営業はお得意だったのですか。
中西氏
結果としては、得意だったんでしょうね。
ただ、人と話すことがものすごく好きかと言われると、そこまでではない。
私がずっと考えていたのは、「どうやったら売れるか」よりも、「この人にとってのメリットは何か」ということでした。
田代
物を売るよりも先に相手を見たのですね。
中西氏
そうですね。
話を聞くと、「この人の役に立ちたいな」と思えてくる。テレアポで教材を販売していた時代も、自分が販売した教材によって、その人のスキルが向上する。スキルが向上したことで、その人が誰かの役に立てるようになる。結果として、その人の収入も上がる。
そう考えると、「人の役に立つこと」が、自分の中での強力な推進力となりました。
田代
何の教材を販売していたのですか。
中西氏
英語とパソコンですね。ちょうどWindows95が発売された直後でしたので、一般家庭にパソコンが普及し始めた時代でした。
時代の追い風もあったと思いますが、「役に立ちたい」という一心で営業をした結果、いい成績を残すことができました。
一番つらい仕事が、結果として中西氏の原点になった
田代
かなりハードな仕事だったと思うのですが、その経験が今につながっている感覚はありますか。
中西氏
ありますね。
テレアポって、非常に厳しいので普通はやりたくないじゃないですか。私も当然やりたくなかったです。
ただ、アポイントが取れたら外出できますので息抜きもできます。

結局「どうやったらテレアポの時間を短くできるか」を真剣に考えました。
そのときに気づいたのが、一番の敵は「考えてしまうこと」であることに気付いたのです。
中途半端に考えてしまったら、手が止まってしまう。だから「番号を押すまで考えない」と決めました。
とにかく番号を押して、コールしている間に考える。そして、電話を切られても落ち込まない。
悩んでる暇がもったいないですから。
田代
その時の考えが今につながっているのですね。
中西氏
そうです。
悩んで何かが生まれるなら、いくらでも悩みます。
でも、そうじゃないなら動いたほうがいい。あの経験は大きかったですね。
